Tomb of the Overlord

オーバーロード 元ネタ考察 備忘録

如何にして「地下牢」は「迷宮」と化したか

初期のRPGが「地下迷宮」を主な舞台としていた理由、つまりD&Dの根本的な起源「ダンジョンアドベンチャー」に関わる諸説については、数々の尾ひれの付いた、かつ断片的な風説がネット上に散見されている。

ツイッター上の幾人かの識者には割と核心的な情報を呟いている人もいないでもないが、その性質上それらがわかりやすく纏められて広がっている様子もなく、また「D&Dは指輪物語をもとにつくられたゲーム」説に反論する為の重要な要素も含まれているため、自分が調べられた限りの物をここに記しておく。


調査のきっかけとなったのはWikipediaの記事「デイヴ・アーネソン」の記述である

~『D&D』と"ダンジョン探検のコンセプト"の中で、のちに"トールキンに影響を受けたと判断されたもの"[20]は「ブラックムーア」を起源とし~

トールキンに影響を受けたと判断されたコンセプトとは何なのか、ブラックムーアでの起源はどういった物なのか具体的に何も説明していない一文であるし、何より以降の文章と内容が繋がっていない、なんとも作りの甘い記事である。

といったわけで、次は上記文書のソースとして脚注に示されているDragon誌15号の記事「D&D Ground and Spell Area Scale」を当たってみよう。

このガイギャックス著の記事は「D&Dの距離スケール*1は混乱しやすい物になっているけど、これはミニチュアウォーゲームが元になっているんだ、AD&Dではわかりやすくするからごめんね」といった趣旨の物であるが、途中に「『CHAINMAIL』攻城戦のルールにあった、中立の第三者が審判となりトンネル採掘などの地下活動を紙の上で実施するというコンセプトをデイヴ・アーネソンがブラックムーアの「ダンジョン」*2に取り入れた」といった文章が差し込まれている。

要するに「ダンジョン探検は、指輪物語におけるモリアの坑道のシーン再現を目的としたのでは無く、ミニチュアウォーゲームの攻城戦ルールが起源」といった主張が上記Wikipedia記事にて示されているわけである。

同様な「ダンジョンアドベンチャーはミニチュアウォーゲームの攻城戦が起源説」はDragon誌26号の記事『D&D, AD&D AND GAMING』においても改めて主張されているが、しかしこの説を鵜呑みにして信じるわけにはいかないようだ。

何故ならこの頃のガイギャックスはAD&Dルールブックのロイヤリティ支払いに関しアーネソンとの関係が悪化しており、訴訟を控え様々な形でD&Dの起源を自分の方に近づけようと、また「AD&DはD&Dとは異なる全く新しいゲーム」という主張を展開していたからだ。

*なお裁判では契約書に書かれたD&Dルールブックがどこまで含まれるかの解釈が重要な論点となり、D&Dがどれだけガイギャックスのオリジナルルールだったかの数々の主張はほぼ無駄足となった

 

上記「RPGミニチュアウォーゲーム攻城戦起源説」*3は、恐らく輸入されたDragon誌を読んだ僅かなAD&D1stゲーマーが広めたのだろう、日本においてもかなり昔から断片的な誇張を伴った形で何度か耳にしたことがあったが、初期D&Dの研究が進んだ現状では古い風説の1つでしかない。


近年の文献や実際に最初期Blackmoorキャンペーンに参加したという人物の証言を自分が読んでみた印象では、何故「ダンジョン」なのか?どうして「地下迷宮」となったのか?という疑問に対する答えとしては

  • デイヴ・アーネソンが新しいゲーム*4の舞台としてご自慢の「ミニチュアの城」を使用した
  • 地下へ地下へと冒険の舞台を拡張していくうち迷宮と化した
  • アーネソンのデモンストレーションをプレイしたガイギャックスがそれに倣いグレイホーク城の地下を舞台としたキャンペーンを開始し、これがD&Dとなった

といった点が真相のようだ。

 

ともあれ、オリジンがどうであったかと実際にD&Dをプレイしたゲーマーがどう受け取ったかは別である。地下迷宮を探索する自分たちのキャラクターにモリアの坑道を進む旅の仲間の姿を重ね合わせるのは容易であり、「D&Dは指輪物語を元に作られたゲーム」説が正しくは無いとしても、指輪物語が「地下迷宮」(ダンジョン)のイメージ成立に多大な影響を与えたというのは一概に間違いとは言えないだろう。

 

参考文献リンク

ジョン・ピーターソン氏の初期D&D検証ブログ

playingattheworld.blogspot.com

 

ジョン・ピーターソン著作のD&Dの歴史に関する研究本(アマゾンリンク)

Game Wizards: The Epic Battle for Dungeons & Dragons 

 

 

最初のファンタジー・ロールプレイングはデイヴ・アーネソンのキャンペーンだというロブ・クンツの証言

kotaku.com

 

史上初のダンジョン攻略、最初期Blackmoorプレイヤーの証言アーカイヴ

The First Dungeon Adventure

城の地下に逃げ込んだ悪い魔法使いの討伐を領主から命ぜられるという、ダンジョンアタックのアーキタイプがこの時点で完成しているのがすごい

 

アーネソンがブラックムーア城として使用した、Kibri社のNゲージ用ブロンツォーロ城のミニチュア。現在でも購入できる

viessmann-modell.com

 

*1:1”=マップ上での1インチ=屋内スケールでの10フィート=屋外スケールでの10ヤードとなる、AD&D1stMMでもフィートとインチとマップ上でのインチが混在していて自分はそれと知らず読んでいたため混乱した

*2:ここでのダンジョンは単に地下牢という意味だけで無く、本来の語源である「城の天守」の意も含めている

*3:RPG ダンジョン 起源 地下通路」などでググれば出てくるが、本来ガイギャックスが主張したダンジョンアドベンチャーの起源からはかなりかけ離れた物も見られる。

*4:それ以前の卓球台で行っていたナポレオニック・キャンペーンと異なり、ゲームの進行、状況の把握は全てレフリー(アーネソン)の語りによって行われた。またガイギャックスも初期はミニチュアを使用していなかったようだ。D&D3版を経験した身としてはもっとタクティカルな、Chainmailから地続きのゲームとしてD&Dが発展したのかと想像していたのだが違ったようだ。